2016年2月24日水曜日

旋律腺〜あたらしきものまたはほかたち




一歳児の子供を集めて、その中で歌うっていうのどう?

インドに突然届いたアンドレアスからのメッセージ。
まだ、先入観のほとんどない小さな子供たちが、あの音楽を聴いたらどうなるか、ということをしたい。帰国するときは連絡して、企画をするよ。

子連れオッケー、ママさんフレンドリーなイベントとかは、わたしの趣味ではないのだが、アンドレアスのコンセプトはそうではなく、耳無垢なものたちと、それからわたしたちの音楽を結びつけてもらえるものだったので、興味深い、というか、いろいろなことをインドで考えていたところだったので、ちょうどそのコンセプトはしっくりときた。
一歳児と、あとは、近所の猫たちも呼ぼうとか、他愛もないことをインドと日本でやり取りし続けていた。

とはいえ、いろいろと、本当にいろいろとインドで思うことがあり、しばらく人前で演奏したくない。一歳児であっても、無理、というかなおさら無理。と思っていて、それをアンドレアスに伝えなければ、、、と思っていたのだけれど急に気が変わったので、やはりやることにしました。
当初の一歳児の、、、というコンセプトは、ちょっと準備不足だったので、サブタイトルとして付けさせていただきました。



あたらしきものまたはほかたち
いろいろなことがめくりめく世界
生まれては絶え生まれては絶え
めくるめくめくるめく
それはただそれだけのこと

ただそれだけのことなのに心はそれをほうっておかない

ただそれだけのことだと
唱えながら耳を澄ます

なにがきこえる?
あなたの渦巻きの中になにがきこえる?

耳を澄ます
ただそれだけのことに
じっと耳を澄ます

2月28日
アンドレアス邸でお待ちしてます。
concert info

2015年12月2日水曜日

趣味は料理と運転

料理と運転は、下手でもなんでもただ楽しい。
喜んでくれればなおうれしい。
ささやかな向上心だけで単純に楽しい。

インドに住み始めてからずっと欲しかった鉄の鍋と板を買いましたよ。ようやく。
テフロン加工のお鍋とフライパンは、いただきものを持っていたのですが、やはり鉄がほしかった。取っ手のない、インドのやつ。







買っちゃったよ。三つも。。。
持ち手のない鉄の鍋は、昔先生がダールスープの作り方を教えてくれたとき、オイルとスパイスを炒めたところに、圧力鍋で炊いたダールをジュバ!とかけた時の音がすごく美味しそうで、あたしもあのジュバ!がやりたい、、、と思いながらなかなか購入に至らなかったお鍋。

やっぱり鉄はいいですね、熱の入り加減が全然違いますよ。豪快にじっくり味がしみるなー。いいないいな。日本にいた時から南部鉄の鍋使ったりしてましたが、やはり鉄が好きです。

この鉄鍋はついでに買ってしまったんだけど、本命はこれです、鉄板。チャパティを焼くやつです。
去年から先生のうちで挑戦してるのだけど、チャパティがうまく焼けない、、、タネは同じなのに、わたしがのばしたチャパティは固く焼きあがってしまう。
思い切って、練習のために買いましたよ。ようやくね。

鉄板かって、アタ買って、こねこねしましたが、やはりさいしょはなかなかうまく焼けず。。。
しかし三回目にしてコツをつかみましたよ。プクーと膨れるようになりました。

趣味なんでね。楽しい。




2015年8月3日月曜日

発表会

よく考えてみたら
初めてムンバイに来て音楽を習い始めたのはちょうど10年前の7月だった。
インドに来れなかった年も何回かあったけど、気づいたら、10年、たっていたんですね。

そして初めてムンバイに来た時と同様、今も同じラーガを習っている。
進歩ないな。

昨日は9年ぶりの、生徒の発表会に参加した。
通常会場となっているプネーのグルクルが、リノベーション中のため、急遽姉弟子の自宅で開催。
ほとんどの生徒は9年前と同じかおぶれ。知らない人はいなかった。でも、9年前8歳だった女の子が、びっくりするくらいきれいになって現れたので、月日のすごさを痛感。
あなた、こぉーんなにちっちゃかったのよ〜〜っておばさんみたいな発言をしてしまった、、けど本当だから仕方ない。

この日のために散々先生にこてんぱんにされてきた。やれないことはやるな、と言われ、これをやりなさいともらったものがどんどん減ってきて、ガリガリに痩せたメニューになってしまい、短くてもいい、AtoZ完璧であればその長さなど関係ない。と言われはしたが、どうしても、減らされたネタを取り戻したくて、結構練習してプログラム前々日には、ガリガリだった体をどうにか標準よりちょっと痩せてるよね、くらいに戻すことができた。

標準体重に戻したはいいものの、本番はさんざんであった。
しかし、いろんなこと、本当に勉強になった。
外国人枠とわたしを見なして喜ぶのは生徒たちで、先生は容赦なかった。それが自分としてはありがたいと思ったし、先生にまで褒められたら本当に辛かったと思う。むしろそれは国におかえり、の言葉として突き刺さったと思う。

次の日から、普通の練習の日々。

他の生徒たちの演奏を聴いて、いろんなことを考えた。
彼らも、9年前から明らかに上達してる人もいれば、あんまり上達してない人もいる。この9年間をどう過ごしてきたのか見えるから面白い。


いろんなことを放り出して、インドに来てよかった、と本当に痛感する。
日本にいたら、知り得ないことが無数にある。絶対に知らなくてはいけないことが、死ぬほどあって、それらは、日本には落っこちてない。
そういう重要なことが、インドでは道端にも転がっている。
この感覚は、自分で体感してみないとわからない。そしてきっとそれは、インド人にはあまりわからないだろう。異質なものとして在る、わたしたちにしかそれは、感じることはないと思う。それが異質であるから。異質なものに少しでも近ずくように、シンクロするようにしないと、インド音楽がなにを言ってるのかなんて絶対わからないと思った。少なくともわたしには絶対にわからなかった。
アホだからだと思うけど、アホだからこそ、このわけのわからない自分の選択が、本当に正しかったなと、実感する。日々、本当に日々、実感する。

プログラムのための簡易ステージ。カーテンに垂れ幕をピンで貼り付けて、日付を書いた紙切れを貼り付けていたが、02/08/2105と、ちゃんとバランス良く書けず、最後の05が小さくなった紙切れ。
ちゃんとバランス良く書けたやつをせめてはっつけたらどーお?と日本人的感覚では思うが、そんなこと、あまり関係がない。
仰々しいテーマも、素敵な演出も質のいい音響も、もちろんあったに越したことはないが、それほど重要じゃない。
そんなことよりも、みな、どんどん歌う。
たくさんの歌の上手い人らの中、ほんの一握りの芸術家が、大きな舞台でたくさんの人を魅了することができる。
それはどの世界でもそうだけれど、そのくらい裾野が広く、多様性があるということ、知らないと、今の自分がなにものなのか、まったく見えないな、と思った。

今の自分がなにものなのか。
まだなにものでもないけど、インドに来たことで、なにものかになりたいと思っている自分を確認することは確かにできてると思う。



2015年7月13日月曜日

しゅるてぃとかすーるとからーがとか

しゅるてぃとかすーるのことについてらーがについて
グルベヘンと話した
六時間

わたしはまだ
srgmのちゃんとした位置をちゃんと固定できない
耳が腐ってるのかなと思ってたけど
それもあるかもだけど
もっと身体的な問題だな、と思う。
なんかそういうことを、前から思ってはいたけれど、インドで生活をするようになって、ますますそれが明確になってきてる。

それにくわえて昨日の話をきいて、ひやー、そういうことかー
どうすんのよ、そんなのー。
っていう気持ちになったと同時に

そこにミステリアスな魔法的なものはまったくなく
体に落とし込むこと
それだけなんだな、と思った
具象化しては
イメージの固定をしてはいけない
遠回りになる
でも近道も探したい

うーさーぎー

体に落とし込んで
それから
何もかもはそれからであると
思った。

わたしは不思議の国のアリスのうさぎだから
忍耐の烙印をおでこに焼き付けなくてはだな。

体に落とし込むのに
何年かかるかな
体に落とし込んで
そのあとどうなるのかな

全然わかんない
死ぬかもしれないけど
まあいいや



2015年7月11日土曜日

夜の料理

うーむ

心がざわざわとして落ち着かないのでお腹も空いていないのにカレーつくった。
夜11時。

料理と運転はいいな

なんか頭すっきりする

せっかく国際免許証もってきたけど、クルマに乗る機会もないので
ほうれん草のカレーを作ったよ。
ほうれん草を茹でて、ニンニクとコリアンダーとジャグリーっていう甘味と青唐辛子一個、一緒にブレンダーでガーする
容器に顔を近づけると青唐辛子の辛気がとんできて、とんでもないことになるので顔を背けながら、がーする。

お鍋に油を熱して、マスタードシードいれる
パチパチ爆ぜて、しばらくすると静かになる。そしたらクミンシードとニンニクとカリーパッター入れて

玉ねぎいれて
小さく切ったジャガイモと、今回はマッシュルームいれて
トマトいれて
お塩とヒーングいれて

ほうれん草ペーストどばーといれて
煮込む。

うーん
美味しそう。
レシピみないから適当。























明日レッスンだから、ダバにいれてもっていこう。

そして先生の秘書に、たまにはわたしも運転しますよ。といってみよう。前に一回言ったけど、軽く無視されたので、もう一回きいてみよ。

モスリンの素敵な布を見つけたのでシャツを仕立てました。襟とか袖がふにゃふにゃになってる方が好きなので一回洗って干してある。
カレー臭が染み付いて、インドに馴染んだな。







2015年7月7日火曜日

散歩とバンディッシュ

散歩をするだけなのにいろんなことが起こる。

海に向かう途中犬に襲われる
じーっとこっちを見て
カプ
と持っていた布製のカバンに噛み付かれた

あらーなんにも食べ物入ってないよう
と、振りほどいてそのまま歩いてたら猛突進してきて
こんどは
ガブ
とまた布製のカバンに噛み付く

ちょっとなんなの、やめてくんない

と振りほどいたがさっきより強い力で食い付いててなかなか離さない

そんでまた歩いてたらまた走ってきて、今度はわたしに飛びついて
また布製のカバンを、
ガブゥ
とやる。
もうカバンの引っ張り合い。。。

みていたインド人夫婦が犬を追い立ててくれたけど、これをしばらく繰り返していた。

しばらくあのバッグは散歩に持って行くのやめよう。。。


ビーチから街に向かおうと歩いてたら
若い不良青年みたいのが、ため池から盗んできた亀をひっくり返して手のひらの上に乗せて、大喜びの体で海に突進していった

ちょっと、その亀、海なんかに流したら死んじゃうよ、やめて!

と追いかけようと思ったが、路上飯の最中であったためその場から走り出せず見守っていた

しばらくしたら
およがねぇ!
みたいにまたひっくり返したままの亀を持って、仲間のバイクでどこかへ消えていった。

かわいそうな亀、、、
助けてたら竜宮城へ連れて行ってくれたかな、、、いやウミガメじゃないから、ため池の底に連れて行かれてただろうな、それはいやだな。。。
でも、早いところ解放されることを願う。


気づくと日々のくだらないことばかりここに書き連ねている。
音楽を勉強しにわたしインドにきています。
でもなんか音楽のことはいろいろ頭の中で考えすぎてまとめられない。

この間ムンバイ南部の大きな会場で行われたプログラムを先生と一緒に見に行った。
バンディッシュ、歌詞に焦点を当てたプログラムで、1日目はドゥルパドとカヤール、二日目はトゥムリー、三日目はボリウッドソング、それぞれのベース上で、ある有名な作曲家たちのバンディッシュを歌う、というもの。

ドゥルパドはいつものような長いアーラープをカットし、バンディッシュの部分を多めに、ラーガを5つくらい、演奏した。
それでもその5つそれぞれのラーガを演奏するたび、アーラープのいろんな表現をそれぞれに歌い分けていて、とてもよかった。ラーガもわかりやすかったし、バンディッシュもわかりやすかった。すごく綺麗にオーガナイズされていて、テーマに則り考えられた演目であったと思う。演奏されたUday Bhawalkarさんは、本当に素晴らしい演奏家だと思う。ミヤーンターンセーンという作曲家のバンディッシュを演奏。

ドゥルバドのゆっくりと丁寧な演奏を聴いた後にカヤールを聴くと、なんだかごちゃごちゃと騒がしく感じてしまった。バンディッシュをフューチャリングしているという感じも薄く、普通にカヤール演奏をしているように感じた。
もっと言っちゃうと、2曲目、ミヤーンマルハールがとくに、お客のワーワーに応えるかのような、くどいミーンドの応酬がちょっと気になった。タブラーとのかけあいも、いつも感じるのだが、シリアスな表現世界をぶち壊すタイプのタブラー奏者。演奏している人たちはそれで楽しげだけれど、ステージ上でだけ盛り上がってるように見えてしまう。いつもそう思う。主奏者のイントロヴァートな姿勢がわたしは好きである。自己の音楽表現に集中し自己問答しているような様を、わたしは美しいと感じる。そういった姿勢の背後に繊細で透明感をもった重厚な音楽世界が立ち現れるのがとても好き。思ったことをすぐさま口にして、その場で笑いを取る、というような、そういう表現は、面白いかもしれないけど芸術と言えない性急さを感じてしまう。

あとステージ上も、ドゥルパドのときは、みな男性だったからか、荷物も乗っかってなくて、真っ白い布とシンプルなクルタ姿の演者たちと楽器しかないシンプルなものだったのに対し、カヤールになると、みなガチャガチャとした柄物のパンジャービードレス、柄物のでかいカバンをみなが持ってそれをステージ上にごちゃごちゃとおくものだから、なんだかステージの上がさらに騒々しく見えた。そんなこと、インド人は気にしないのだろうな、、、でもおそらく、ウダイさんは、考えてると思う。対照的なくらいステージの上が綺麗だった。

ここでドゥルパドは、、、カヤールは、、、と言ってしまってるけど、そういった音楽のジャンル別の話ではなくて、あくまでも、この日の演者お二方の、この日の演目に対する感想です。ドゥルパドにもトンデモな人もいるし、カヤールで素晴らしい人もたくさんいる。ジャンルでどうのこうのと言ってしまうと、発想が一義的なものに陥りやすく危険だと思う。もともと視野の狭い自分、意識的に広義でものごとを見るようにしなくてはなーと思う。

この日は久しぶりに先生と二人きりでのお出かけだった。
帰りの車の中で、いろんなことをお話しした。話の中心はその日の演奏のこと。
あんた独り身で自由の身なのだから、どんどんいろんな演奏を見に行きなさい、そして感想を伝えなさいと言われた。
最近はコンサートがあればどこへでもいく、って感じでもなくなってきた。本当に見たいなと思うものしかみたくないし、つまらなかったら途中でも帰ってこれるくらい図々しくなってる。
日本ではこの、退屈だったら途中で平気で中座する、というのがありえない。みなじっっっっっと、どんなに退屈でも耐える。耐える。耐える。
インド人は平気。もしくは楽しくても、帰りの時間になるとさっさと帰る。
どっちがいいとかじゃないけど、でも、つまらなかったら途中で帰れるのも、古典音楽の演奏が、そんなに珍しいものでもなく、またいつでも見にこれるから、っていうのもあると思う。どっちのほうがいいか。わたしはこっちのスタイルに慣れてしまった。

夜11時すぎに帰宅したけれど、姉弟子の誕生日だということで、先生の家に集まってて、そんな夜更けにチョコレートケーキをたらふく食べさせられた。嗚呼。



2015年7月6日月曜日

火をみる

梅雨の小休止
ここのところあの不快極まる湿気がだいぶやわらいで、布団も心なしかさらっとしてる。
そのため日中はひどく暑い。

そんな暑い日暮れに、大家さんがわたしの台所の目の前で大焚き火を始めた。
どこから持ってきたのか知らないけれど、とんでもない量のココナッツをガレージにためていて、それをかち割って毎日のように食していたのだが、その殻をわたしの台所の前に山積みにするものだから、ここのところコバエが発生して大変だった。

雨もしばらく降らず、たまったココナッツの殻も落ち葉も乾いてきたところで
大焚き火大会。

煙がもくもくと部屋に入り込んできたので、焚き火にジョイン。
炎の熱さは気温の暑さとは別で、なにか落ち着く。
熱風で頬が焼ける感じがなんか好きだ。
大家さんは小さいジャガイモを六つ、放り込んでいた。

焚き火の炎を絶やさないように板きれで空気を入れたり落ち葉を集めたりしながら70歳の働き者の大家さんとおしゃべり。
昔は一日中焚き火をして、スイートポテトを放り込んでみんなで食べたが、いまじゃ日中にこんな焚き火なんかしたら近所に通報される。だから、みんなが窓を閉める夜7時以降じゃないと火を起こせないとぼやいていたが、日本と一緒だなあと思った。
日本じゃ夜に燃やしたらそれこそ通報されてしまうけど、昔は好きに焚き火ができたのにな。

炎を見るのは楽しい。

異様な生命力を感じさせるぐねぐねとかりんとうのような小枝をたくさん生やした枝きれや、肉厚の枯れ葉が燃える様子は日本でみる落ち葉の焚き火とはぜんぜん違う、また違うディテールを伴ってる。

真っ赤な炭になったココナッツの殻
毛細血管みたいな小枝
呼吸するみたいに明滅する炎

ほじくりだしたジャガイモ、食べろといわれたので食べた。
おいしかった。

どうしても叶えてほしいお願いがあるから
お願いの仕方を変えてみた。
自分の都合の良いように解釈をすることもときに必要だと思う。
生きなきゃならないのだから
生きやすいように、自分をちょっとくらい騙したって、いいよね。って
思うことにする。